インタビュー
ロールモデルインタビュー企画【私のストーリー】
このコーナーでは、福岡キャリア・カフェ統括コーディネーターの村山由香里氏が、ロールモデルの女性に取材インタビューを行い、それぞれのキャリアの転機や今思うことなどを語ってもらいながら、「100人100色ワタシ色」のキャリアを描くためのノンフィクション物語とヒントをお届けしていきます。
第22回は、林田 茉優さんにお話を伺いました。

PROFILE
林田 茉優さん
会社名 役職
私のストーリー
24歳、血縁のない会社を継ぐ
林田茉優さんは、みやま市で130年続く「吉開のかまぼこ」の代表取締役社長。
社会人2年目の12月、24歳で社長に就任した。前社長との血縁関係はない。
すべての始まりは、福岡大学で受講した阿比留正弘教授の「ベンチャー起業論」だった。
阿比留教授の授業は、毎年200〜500人が受講する人気講座。
学生たちは20ほどのプロジェクトに分かれ、自らテーマを決め、企業や地域と関わりながら活動する。
林田さんは1年生から4年生まで受講し、2年生の時には防災をテーマにしたプロジェクトでリーダーを務めた。
4年生で再びリーダーとして取り組んだのが、全国的な課題となっている事業承継問題だった。
授業で、痛くない注射針という高い技術を持つ岡野工業が、後継者不在を背景に事業継続が難しくなっていることを知り、驚いた林田さんは、社長に手紙を書いて東京まで会いに行った。
直接話をしても状況を変えることはできなかったが、経営者の思いを自分の耳で聞いた経験は、心に深く残った。
後継者のいない会社を探して、メンバーとともに福岡県内の企業を訪ね歩いた。
インターネットで調べても情報は出てこない。そこで、まずは社長に会いに行くことにした。
約50社を訪ねる中で出会ったのが、当時、数年間にわたって工場を休業していた
「吉開のかまぼこ」だった。
卒業後も「吉開のかまぼこ」事業の再生と後継者探しに奔走。
M&Aによる譲渡先が決まった時、
林田さんは「一番思いを持ってこの事業を引き継げるのは、あなたではないか」と社長に指名された。
譲渡先は、システム開発会社のフロイデ株式会社。
フロイデの経営陣に教えを乞いながら、社長としてのキャリアが始まった。

復活の鍵は、人とのつながり
新米社長の林田さんを待っていたのは、休業していた会社を再び動かすという大きな仕事だった。
商品戦略を再検討し、コンセプトを決め、商品の価値を見直し、販売価格を従来の約3倍に設定した。
工場を再開するにあたり、技術を前社長に学びながらも悩みは2つあった。
どれだけ商品を作ればよいのか、そして、どうすれば多くの人に再開を知らせられるのか。
リニューアルした新価格での販売実績はなく、製造量を判断する基準もなかった。

工場にて、前社長と
そこで活用したのが、クラウドファンディングだった。
学生時代に築いた人脈を頼り、知人や食品業界の仲間に「応援してください」と一人ひとり連絡した。
九州パンケーキの村岡浩司さんをはじめ、九州の食品事業者からも「一緒に考えてあげるよ」と力を貸してもらった。
公開前、村岡さんから届いた言葉は、「君の良さが全く出ていない」という厳しい指摘だった。
自分たちの思いの伝え方を再構築し、公開前から支援をお願いするメッセージを送り続けた。
その結果、クラウドファンディングは開始からわずか1日で目標金額を達成。
トップページにも掲載され、福岡県内のテレビ局や新聞社から次々と取材が舞い込んだ。
最終的には約680人が応援してくれた。
支援の輪が広がったことで、製造量の見通しが立ち、無駄なく原料を仕入れることもできた。
オンラインショップを開設し、季節限定商品や他社とのコラボレーション商品も展開。
関東や関西にも販路を広げている。
「吉開のかまぼこは、お世辞ではなく本当においしい」と林田さんは語る。
安さを競うのではなく、130年受け継がれてきた味と技術にふさわしい価値を伝えたい。
かまぼこを起点に、食品業界の横のつながりを広げ、九州の食文化を次世代へつないでいくこと。
それが、林田さんの目指す未来だ。
私流リーダーシップ
強がって泣いた経験が、転機になった
林田さんが初めてリーダーの苦悩を経験したのは、
福岡大学の「ベンチャー起業論」で取り組んだ防災のプロジェクトだった。
企業1社が協力する本格的な活動で、2年生ながら立候補してリーダーになった。
「何でもできます」と言ってしまうタイプだった林田さんは、分からないことがあっても強がり、
メンバーに相談できなかった。
自分ががんばれば何とかなると思い込み、先頭に立ってすべてを背負おうとした。
しかし、どうしてよいか分からない状況に追い込まれ、ある時、メンバーの前で涙が止まらなくなった。
すると、メンバーたちは次々に意見を出してくれた。
その時、林田さんは気づいたという。
自分が「何でもできる」と思ってがんばることは、メンバーを信頼していないことと同じだった。
みんなにはできないだろうと決めつけ、自分だけで抱え込んでいたのは、ある意味で傲慢だった。
この経験を境に、リーダーの役割に対する考え方が変わった。リーダーは何でもできる人ではない。
自分の弱さを見せ、仲間の力を引き出し、共に前へ進む人なのだ。
現在、社長としても「全部を一人で管理しない」ことを大切にしている。
数字や経営状況は、工場長やアルバイトを含め、できるだけ見えるようにする。
社内の連絡にはSlackを使い、情報を閉じ込めない。
現場のことは現場の人が判断できる会社にしたいと考えている。
「どうしたらいいですか?」をなくす
林田さんが経営で大切にしているのは、
社員から「どうしたらいいですか?」聞かれてもすぐに答えを出さない。
「こうしたらいいと思うけど、どう思いますか?」と質問させるようにしてしているという。
「まずは自分自身で考えてもらい、最初から私に答えを求めないようにしています」。
自分がすべてを決めるのではなく、一人ひとりが当事者として考え、判断できる環境をつくるためだ。
会社を再開した当初は、経営の数字を読むことも、社長として何をすべきかも手探りだった。
そんな時、周囲の経営者やフロイデの経営陣に助けてもらった。
分からないことを分からないと言い、調べたうえで理由を添えて尋ねる。
人に頼ることは、弱さではなく、前に進むための力だと学んだ。
林田さんは、「社長やリーダーは孤独だと言われることがあるが、自分は孤独を感じたことがない」という。
ピンチはあっても、いつも誰かが力を貸してくれた。
学生時代の仲間、食品業界の人々、地域の応援者、社員や工場で働く人たち。
多くの人とのつながりが、会社を動かしている。
「私がいなくても問題解決できる会社にしたい」。それが、林田さんの経営者としての目標だ。
謙虚であることと、遠慮することは違う。
未熟だからこそ人に教えてもらい、必要な時には厚かましいほどお願いする。
受け取った力を次の世代へ返していく。
自分一人で成功するのではなく、人とともに未来をつくる。
それが林田さん流のリーダーシップである。

私のロールモデル
林田さんのロールモデルは、福岡大学時代の恩師、阿比留正弘教授。
「ベンチャー起業論」を通じて、人生観や幸せの価値観を大きく変えてくれた存在だ。
阿比留教授から学んだのは、「人生の経営者になる」という考え方。
親や先生、周囲の評価に人生を決めてもらうのではなく、自分の人生を自分で決める。
人の目を必要以上に気にせず、仕事のために人生を使うのではなく、人生を豊かにするために仕事をする。
国内外に幅広い人脈を持ち、経営者や学生を自然に巻き込む阿比留教授は、
卒業生が結婚や転職など人生の転機を迎えるたびに先生に会いに来るほど、多くの人から愛された先生だった。
「先生のように、生き方や考え方で人に影響を与えられる大人になりたい」と林田さんは語る。
社外メンターとして
以下、テーマについて御相談に乗ることができます
取材後記
林田さんは、大学の「ベンチャー起業論」で、2年生と4年生の時にプロジェクトリーダーを、
3年生では学生代表を務めた。
受講生約500人を前に立候補し、マニフェストを発表。選挙を経て学生代表に選ばれたという。
就任後は、「ベンチャー起業論と外部企業とのつながりをつくることが自分の役割だ」と決め、
外部講師を務める経営者との交渉や、各課の統括に取り組んだ。
20周年には、毎年開催されているビジネスプランコンテストで、1,000人規模の会場を満席にした。
恩師・阿比留先生からの学び、数え切れない経営者との出会い、そしてリーダーとしての経験。
林田さんのリーダーシップは、学生時代から少しずつ培われてきた。
親や祖父母ほど年齢の離れた経営者に対しても物怖じせず、懐に飛び込んでいく。
そのまっすぐな姿勢が、多くの応援者を引きつけている。
私が林田さんと初めて出会ったのは、社長就任から2か月目、25歳の頃だった。
堂々とした話しぶりに舌を巻いたことを覚えている。
経営者として、先頭に立ち、周囲を巻き込みながら前へ進む林田さん。
その元気と行動力に触れ、明るい未来を感じる取材となった。
(取材・文 村山由香里)

