インタビュー
福岡キャリア・カフェ ロールモデルインタビュー企画 【私のストーリー】
このコーナーでは、福岡キャリア・カフェ統括コーディネーターの村山由香里氏が、ロールモデルの女性に取材インタビューを行い、それぞれのキャリアの転機や今思うことなどを語ってもらいながら、「100人100色ワタシ色」のキャリアを描くためのノンフィクション物語とヒントをお届けしていきます。
第一回は、保育事業の経営を手掛ける権藤 光枝(ごんどう みつえ)さんにお話を伺いました。
権藤 光枝(ごんどう みつえ)さん
株式会社ブランチェス 代表取締役社長
業種: 保育サービス業、訪問看護事業、児童発達支援事業、放課後等ディサービス
創業年:1996年
ホームページ:https://www.branches.co.jp/
私のストーリー
目の前の課題に取り組んでいたら
権藤光枝さんは、福岡を中心に保育園や訪問看護リハビリステーション、社会福祉法人など、26事業所を経営する経営者。従業員は保育士、看護師、理学療法士等、200名を超える。その始まりは小さな小さなスタートだった。
1996年、24歳で個人事業主として無認可保育園を設立した。21歳の頃、0歳児を抱えて離婚し、保育園に子どもを預けながら仕事した。が、ほとんどの保育園は夕方の遅い時間や土日は子どもを預かってくれない。「もっと子どもと一緒にいる時間が欲しい」「仕事をするお母さんのために24時間預かってくれる保育園が必要」との思いからお金を貯めてスタートしたのが起業の始まりだ。最初の園児は自分の子どもを含め3人だったという。
インクルーシブな社会を作りたい
ある時、酸素吸入をつけた子どもがやってきた。他の保育園に入園を断られたという。従業員と相談し受け入れを決断。すると、他の園児たちは長い管をよけながら普通に一緒に遊んでいる。医療的ケア児問題に目が向き、訪問看護事業を広げるきっかけになった。「インクルーシブな保育が実現する社会を作りたい」という目標も生まれた。企業として大きく成長するきっかけは、2015年女性活躍推進法、2016年子ども子育て支援法など国の方針の転換だ。助成金を活用し、0〜2歳児までの小規模保育事業所の設立を手掛けたり、企業内保育所の設立を支援したり、急激に事業を伸ばしていく。企業のミッションは、「子育てのあらゆる課題を突破する」。目下の課題は、在宅医療の医療的ケア児の問題。「日本はまだまだ遅れている。行政を巻き込んでこの問題に取り組み、健常児と障がい児が共に暮らせる社会を作りたい」。
私流リーダーシップ
社員が辞めるのは、経営者としての未熟さだった
保育園を始めた頃は20代半ばで経営の勉強もしたことがなく、ただ必死に仕事し生きてきた。社員が辞めても「また雇えばいいさ」。業績を伸ばすことが大事だった。5年ほどたった頃、幾つも自己啓発セミナーを受講し、経営者の会にも入会した。それまでは社員に対して「私とみんな(部下)」という考え方で、「一緒に働いている仲間」という意識がなかった。「経営者ってこういう考え方なんだ」と衝撃だった。自分のモチベーションが上がった自己啓発セミナーを社員にも受講させた。きっと同じ気持ちになってくれる、そう信じて。ところが、社員たちにはピンとこない。「講師の話じゃなく、社長の話が聞きたいです」。それまでの自分は、社員をまとめるには厳しくないといけないし、「ちゃんとしてないとナメられる」そんな感覚で背伸びしていた。社員のその言葉に、シングルマザーで子どもを抱えて創業した頃のことを語った。すると、共感してくれる社員が増え、人は辞めなくなり経営が安定してきた。
できない理由より、できる理由を考えよう!
社員が喜んでくれること、保護者が喜んでくれることが、日々のモチベーションがあがる原動力だと気づいた。そんな気持ちを経営理念にし、ビジョンを作った。経営指針発表会は年に1回開催し、思いを共有している。従業員が200人を超えた今、社長の仕事は会社の方向性を決め、幹部社員にしっかり伝えることだと思っている。
「ヤンチャだったり、シングルマザーだったりすると、『私にはできない』と思いがち。私の背中を見て、ちょっと頑張るきっかけになってくれたらうれしい。そういう人たちの支えになりたいなと思ってエンジンかけています。それができた理由ですか?『できない理由より、できる理由を考えよう!』と若い頃から思ってきたからかな。社員にも言い続けていますよ。」できる理由を見つけ、1つの課題を終えたら、次の課題が見えてくる。経営に終わりはない。
私のロールモデル
素敵な女性経営者は周りにたくさんいるが、「この人」というロールモデルはいない。が、背中を押してくれるのは取締役の本松ちなみさん。20年前、短時間パート保育士として入社し、フルタイムパート、正社員、園長を経験した後、平成27年に取締役に抜擢した。「光枝先生についていきます」といつも言ってくれ、権藤さんが新しいことをやり始めると「私、下で支えますからね!」と心強い。突き進む権藤さん、その後を保育園事業の責任者として、広げまとめてくれる。一緒に泣き笑いし、互いを支えあう存在だ。
【取材後記】
「仕事しながら学ぶ」の典型のような権藤さん。24歳で起業して、いきなりリーダーになり、失敗を重ねながら自分なりのリーダーシップをつかんで来られたのだなあと思います。200人を超える組織のリーダーとしては、会社の方針を立て、ぶれない姿勢で社員に伝え共有する。その仕組みづくりもしっかりされています。(取材と文:村山由香里)