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インタビュー企画【私のストーリー】第11回:名村 知美さん〜「やりたいこと」から「できること」へ、そして今。私のキャリアの変遷。〜

福岡キャリア・カフェ ロールモデルインタビュー企画 【私のストーリー】

このコーナーでは、福岡キャリア・カフェ統括コーディネーターの村山由香里氏が、ロールモデルの女性に取材インタビューを行い、それぞれのキャリアの転機や今思うことなどを語ってもらいながら、「100人100色ワタシ色」のキャリアを描くためのノンフィクション物語とヒントをお届けしていきます。

第十一回は、名村 知美(なむら ともみ)さんにお話を伺いました。

名村 知美(なむら ともみ)さん

株式会社安川電機

総務・リスクマネジメント本部総務部長

業種: 製造業

私のストーリー

「雑草のように生きてきた」

製造業のまち北九州市には、歴史あるビッグ企業がいくつもある。そのうちの1つ、株式会社安川電機で総務部長を務めるのが名村知美さん。女性管理職比率が2.4%の社内では超少数派の女性管理職だ。

早口でにこやかながらも鋭い表情。「バリキャリ」の代表のような名村さんだが、「雑草のように生きてきた」と自分を語る、意外なキャリアの持ち主。新卒で日本銀行に入社、その後、外資系金融機関に転職し、育休を取得。夫の転勤のため退職し、ドイツ、福岡へと転居する。

福岡では、「金融」「ビジネス英語」という専門性は全く役に立たず、キャリアの継続ができなかった。そのため、仕事は「やりたいこと」から「やれること」へシフトした。子育て期間中は、在宅でできる個人事務所のリサーチャーや、ベンチャー企業のパートから管理職まで、時間や場所の制約を受けにくい仕事をこなし、ワークライフバランスの取れる生活ができた。

ダイバーシティ推進は、自身の人生で直面した課題

安川電機には、2015年にダイバーシティ推進担当の管理職として入社した。

2015年は女性活躍推進法が成立した年。政策として女性活躍が打ち出され、企業はこぞって女性管理職登用に力を入れ始めた。管理職に昇格させる女性社員が育っていない企業は、相次いで外から女性管理職を採用した。日本のほとんどの企業にとって、初めての本格的な女性活躍推進のうねりの時だった。安川電機も同様で、社長直轄の人材多様性推進室を新設し、課長として入社したのが名村さんだ。

ダイバーシティは、名村さんにとって初めての分野だったが、就職活動時に直面した日本社会の男女差別や、女性のライフイベントのため思い描くキャリアを進めなかったことなど、自身も経験した課題でもあった。社員へのヒアリングや研修など、社内のダイバーシティ推進に邁進していった。

私流リーダーシップ

最初のマネジメント経験は、外資系金融機関

「自分が責任を持って仕事していたら、リーダーになるのは当たり前だと思っていた」という名村さん。最初のリーダー経験は、外資系金融機関のコンプライアンス部門で仕事をしていた時だった。

上司が辞め、その部署は部員だけになった。ほどなくインド系イギリス人の新任の上司が、ロンドンから派遣されてきた。さらに上の上司はニューヨークオフィスにいた。

「日本のマーケットは、日本語の法律しかないという特殊な市場です。他の国のマーケットは英語で書かれているので、どこの国の人でも一定の理解はできるのですが」

そこで、名村さんがサポート役として走り回った。日本ではこういうふうに解釈されていると英語で伝えたり、弁護士との間を取り持ったり。また、他の部員に不満がでないよう気を配った。

その後も仕事の標準化、効率化を考案し、部門のトップに評価された。マネジメントの経験をし、仕事に手応えを感じていた30歳前後の頃だった。

プロとしての自覚とやりがいを持って仕事して欲しい

様々な会社、様々な部署でリーダーシップを発揮してきた名村さんだが、リーダーとして気をつけているのは、「部下とフラットに向き合う上司でありたい」ということ。部下に望むことはあるが、強要にならないよう気を付けているそう。

「管理職は自分の思うようにいかないことも多々あり、マネジメントは難しいと実感しています。ただ自分でできることは限られているので、部下のみんながやりがいをもって仕事を してくれればもっと色々なことができると感じています」

今年就任した総務部長としては、「総務部門は会社の屋台骨。こんなに大きな組織では管理部門があってこそ会社が成り立つ。会社を支えているという自負を持って欲しいと部下には話しています」。

仕事の意味や目的を考え言葉にし、部下にわかりやすく伝えるのはリーダーの仕事の1つではないだろうか。何のために仕事をしているのか納得し誇りを持つことで、人は仕事への取り組み方が変化する。それが自ずとできる人がリーダーになっていくのかもしれない。

私のロールモデル

その時その時で尊敬する人はいたが、「ロールモデルを意識したことがない」という名村さん。ロールモデルがいないのが当たり前の時代だった。ただ、振り返ってみると、1992年に日本銀行に入った時に一番お世話になり、尊敬する先輩女性社員が、制度として許可されたらすぐに旧姓を使っていた。当時の名村さんは独身だったのでリアリティはなかったが、そういう生き方ができることを見せてくれた最初の人だった。その後、結婚し、旧姓使用で仕事をしているのはその先輩の影響だ。

社外メンターとして

#管理職へのチャレンジ

#自分なりのキャリアの見つけ方

#結婚・出産のライフ

所属事業所概要

株式会社安川電機

社員数: 連結13,010名(2024年2月29日現在)

【取材後記】

「雑草のように生きてきた」「一貫性がないのがコンプレックス」と心のうちを語る名村さん。大企業から中小ベンチャー、外資系まで、職種も様々に経験してきたのは確かだが、「一貫性がない」のは、「何でもできる」の同意語ではないだろうか。「8割9割は、何でも来た球は返せるんですよ。私の弱点は、8割9割だからダメなんです。ほんとのプロは100%以上で返せる」。ストイックなプロ意識に脱帽だ。(取材・文 村山由香里)